寺伝によれば、当山の毘沙門天像は、平安時代末期、磯子一帯を支配していた御家人「平子有長(たいらご ありなが)」の発願によるものとされています。平子氏は、真照寺裏の山の上に居城を構え、持仏として武の神である「毘沙門天」を信仰していました。
平子有長は、建久4年(1193年)、源頼朝の催す富士野の巻狩に参加。
この時、日本三代仇討ちのひとつとして有名な「曽我兄弟の仇討ち事件」に遭遇します。
父のかたき工藤祐経を討ち果たした曽我兄弟は、そのまま源頼朝の陣屋に乱入。その時、最初に立ち向かったのが平子有長であると、吾妻鑑に書かれています。
曽我十朗との立会で深手を負った平子有長でしたが、九死に一生を得、これも日ごろ信仰する毘沙門天のおかげと、毘沙門天像を建立したと伝わります。
その姿は、平子有長本人を模しているとも言います。
これが、現在本堂に祭られている毘沙門天像なのです。
(写真提供(c)横浜市教育委員会)