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悟っていたって悲しいものは悲しい ということ



お大師様が、甥であり、一番弟子であった智泉僧正の逝去に際して

【亡弟子智泉が爲の達嚫(だっしん)の文】

という一文をしたためられました。


その中で最も知られている一節


哀哉哀哉哀中之哀悲哉悲哉悲中之悲

(中略)

哀哉哀哉復哀哉悲哉悲哉重悲哉


【読み下し】

哀れなる哉、哀れなる哉、哀れのなかの哀なり。悲しい哉、悲しい哉。悲しさのなかの悲しさなり。

(中略)

哀れなる哉、哀れなる哉。復た哀れなる哉。悲しい哉、悲しい哉。重ねて悲しい哉。

お大師様は上の一節の(中略)の部分に、悟りとはどんなもので、自分はその境地に至っているにもかかわらず、という文章を差し込まれています。

一般的に、「悟った人」とは、どんな苦難や困難にも挫けず、感情の起伏のない穏やかな人、というイメージがあると思いますが、お大師様は、そうはおっしゃっていないのです。


大事な人が亡くなった時には、

悲しくて悲しくて悲しみの中の悲しみにある。悟りの中にいる私であるが、悲しくて悲しくて悲しくて何度も悲しさが繰り返してくる

とおっしゃっています。


悲しみと向かい合い、とことん悲しむことができること

ひょっとしたら、それが悟りなのかもしれません。

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