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悟っていたって悲しいものは悲しい ということ
- 真照寺 公式
- 8月18日
- 読了時間: 1分

お大師様が、甥であり、一番弟子であった智泉僧正の逝去に際して
【亡弟子智泉が爲の達嚫(だっしん)の文】
という一文をしたためられました。
その中で最も知られている一節
哀哉哀哉哀中之哀悲哉悲哉悲中之悲
(中略)
哀哉哀哉復哀哉悲哉悲哉重悲哉
【読み下し】
哀れなる哉、哀れなる哉、哀れのなかの哀なり。悲しい哉、悲しい哉。悲しさのなかの悲しさなり。
(中略)
哀れなる哉、哀れなる哉。復た哀れなる哉。悲しい哉、悲しい哉。重ねて悲しい哉。
お大師様は上の一節の(中略)の部分に、悟りとはどんなもので、自分はその境地に至っているにもかかわらず、という文章を差し込まれています。
一般的に、「悟った人」とは、どんな苦難や困難にも挫けず、感情の起伏のない穏やかな人、というイメージがあると思いますが、お大師様は、そうはおっしゃっていないのです。
大事な人が亡くなった時には、
悲しくて悲しくて悲しみの中の悲しみにある。悟りの中にいる私であるが、悲しくて悲しくて悲しくて何度も悲しさが繰り返してくる
とおっしゃっています。
悲しみと向かい合い、とことん悲しむことができること
ひょっとしたら、それが悟りなのかもしれません。





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